2006年01月02日

ドラマー木南の過去 ”誕生〜小学校〜中学校時代”

 今日のドラマー木南ができるまでの、過去の経歴をつらつらと書いていこうと思います。
 
 20世紀のとある年の5月20日のこと。神奈川県の藤沢市という、都会でも田舎でもない中途半端な町に、木南家の長男として私は生まれたようです。


 家族構成(当時)は、祖母、両親、姉、という、ごく一般的な家庭です。

 幼少期は、それはそれは手のかかる子供だったそうです。

 机の上のものを床にぶちまけてみたり‥

 与えられた蕎麦を手に持って振り回してみたり‥
 
 電車で後ろに座っているおじさんの頭を撫で回してみたり‥

 気難しい子供だったようですね。笑




・小学生時代


 小学校時代には音楽なんてかけらも興味を持たなかったですね!一応鼓笛隊で小太鼓を叩いていた記憶もありますが、この頃を思うと、自分が今こんなに音楽にのめり込むとは信じられませんねぇ



 この頃はサッカー少年でした。少年サッカーチームではゴールキーパーをつとめていた気がします。しかし、そのチームのコーチが気に入らなかったようで・・チームを脱退。その後他のチームに入ったりもしましたが、結局サッカーは止めてしまいましたね。


 その後しばらくはテレビゲーム好きの祖母の影響もあり(ゲームをやりすぎて腱鞘炎になるほどの祖母でした。笑)、ゲームばかりやっておりました。その結果視力はどんどん落ち、三年生でメガネを購入。卒業までに視力は0.1を切っていました‥

 
 その次に興味を示したのは将棋でした!小学5〜6年生では「将棋クラブ」に所属し、(当時はルックスが将棋の羽生さんに似ていたこともあり)将棋の本やテレビ番組や雑誌を熱心に見て、研究していた記憶があります。しかし将棋も1、2年で、次第に興味を失っていきます。


 何かにはまると熱心に頑張るのですが、思い返すと何をやっても長続きしていない小学校時代ですね!笑


 そして中学受験をしました。これは親に受験させられた訳ではなく、自分の意思でした。
その動機は「男子校に行きたかったから」でしたね。


 なぜ自ら男子校に行きたがったのか?その訳はというと、小学校で自分の悪事を女子にチクられた木南少年は、この年にして女性恐怖症になってしまったんです!笑


 そして一応進学塾に通うも、怠け者の自分ですから、まじめに勉強をした記憶はありません。母親を心配させたものでした。

 
 
 そんな風に適当に受験勉強をこなしつつ、偏差値50くらいの「なんちゃって進学校」に無事合格。ここで男子校に入ってしまった事は今思うと少し悔やまれますが、その後楽しい仲間とたくさん出会えたので、まあよかったのかなと。そう思うことにしています・・・





・中学生時代


 中学校に入ると、木南少年は陸上部に入部します。動機は特に覚えていません!笑

ただ周りの友人より多少成長が早く(中学入学当時で170センチくらいありました)、「ちょっと他人より速く走れた」くらいのものでしょう。


 主に短距離走をやっていましたが、部活は割と真面目に頑張っていました。毎日海岸や山を走っていましたね・・しかし「なんちゃって進学校」を気取る中学校では、部が自由に試合に出場することもできませんでした。中体連に所属できなかったんです。試合の数も学校によって制限されていました。
 
 かなり不満はありましたが、アホで愉快な仲間たちに囲まれて、打ち込むこともあり、それはそれで楽しい部活動でしたね。


 
 そしてこの頃、木南少年は初めて音楽に興味を持ちます


 姉に借りたCDがきっかけでした。スティングのCDだったんですが、映画「レオン」のエンディングテーマにもなっていた「Shape Of My Heart」という曲を聴いて、木南少年はいたく感動を覚えます。それからは色々CDを買い漁りましたね!スティングやら何やらの洋楽のCDが多かったです。初めて買ったCDはスティングの「Soul Cages」でした。



 そして、中学三年生にして、ドラムを始めます!


 陸上部の仲間にギターを弾いている友人がおり、彼に「学祭でバンドでもやろうぜ!」てな感じで誘われたのがきっかけでした。

 それも別にドラムを希望した訳でもなく、ただ「じゃあお前ドラムね!」と友人に言われたからでした。よくあるパターンですね。笑

 そしてその気になった木南少年ですが、ドラムなんてどうやって練習したらいいのか分かりません。楽器のことも何一つ知りませんでした。どうしようかと考えている時‥

 母親に「俺、ドラムやりたいんだな」的なことを話すと、母親のほうから「じゃあ習いに行きなさいよ!」と、なぜかやたら乗り気で応援してくれたんです。

 もともと音楽一家で、自分以外の家族はみんなピアノをやっていたこともあり、抵抗はなかったようです。母親も自分に何か習い事をさせたいとは昔から思っていたようで‥

 ここで母親が後押ししてくれなかったら今自分はドラムなんてやっていなかったのかもしれません。感謝ですね!



 そしてドラムを習いに行くことになり、音楽生活の第一歩を踏み出したわけですが、


 
バンドは一瞬で解散しました!


 練習が間に合わなかったかなんだったか理由は忘れましたが、どうやら「話だけ盛り上がったけれども、バンドのメンバーは実際そこまで乗り気じゃなかった」と。そんな感じだったと思います。きっと自分以外のメンバーはこの時バンドの話があったなんて覚えていないんじゃないかな?笑


 そしてバンドはなくなったんですが、ドラムを叩くのは楽しかったので、レッスンはそのまま通い続けました。まあ当時は大して練習もしなかったですけれども‥


 そしてその後は一人でなんとなく練習を続け、もう一度バンドを組むのはしばらく後になってからのことになります。


 中学〜高校はエスカレーターで進学だったので、特に勉強もせずにダラダラとドラムを練習しながら過ごしていました。

 

 ちょっと長くなったので、高校時代からの話はまた次回に続きます。
posted by キナミ at 16:57| Comment(4) | TrackBack(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうもはじめまして。Shape Of My Heart、僕も大好きな曲です。僕は宮崎シーガイアでのライブをテレビでやってるのを見てこの曲にはまりました。たしか、千堂あきほ(なつかしいー)がナレーターをしてました。
Posted by muse at 2006年01月02日 20:32
ぎゃははは

最高だなあ

きっかけになったバンドの儚さったらない

でもよかったね

おじさんのドラムの原点くれた
その夢バンドの皆さんには感謝だね

あたしも濃い歴史欲しい
Posted by 萌 at 2006年01月02日 23:03
>アホで愉快な仲間たちに囲まれて
大晦日の夜から元旦の朝にかけても、清水カーで冒険してきたぜ!いや〜、飲み会都合会わんね〜。。
Posted by リキ at 2006年01月03日 01:32
>museさん

 はじめまして!コメントありがとうございます。

Shape Of My Heart、いい曲ですよね〜
スティングの歌もいいですけど、ドミニクミラーのギターが特にお気に入りでした。


>萌

 うむ。あの時はどうしようかと思ったけどね。笑

続けててよかったよ!


>リキ

 俺は大晦日はセッションホストの仕事があってな‥都合あわんのう。

 しかし一月前半は時間がとれるかも!

‥あ、一月はみんな勉強するのかな?勉強しないのは俺だけか。
Posted by キナミ at 2006年01月04日 02:56
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。